サイコパスの思考の良い面だけを分析して、それを意識的に練習し、後天的に身に着けるという考え方がある。その具体的な方法については、以下の本に詳しい。
別に人を貶めたいとかそういうことではなく、無駄なストレスに反応する回数を減らせたらイイよねと、そういう動機で時たま折に触れて勉強している次第だ。
そして最近たまたま、サイコパス的な思考をしている自覚があるという人のブログ記事を読んだ。
その思考プロセスを興味深く読んでいると、「おや?」と引っ掛かるものがあった。よくよく考えるとそれは、さっきの本と、共通する考え方があるという点だった。
それは、”あるもの”を意識的か無意識的かはさておき、キッパリと持っていないというものだ。そしてそれは、実はあちこちで「オススメ!」とされている思考法でもある。
今日はそんなお話の紹介である。
「なぜ不満を抱くのか、なぜ怒るのか、理解できない」という気持ちの裏にある、至極ごもっともな前提。
先のブログ記事の中で、すごく大事なことを言っていると感じたのは、この部分だ。
SNS等の荒らしについては対人ですらないので、後の方に書きますが・・・皆さんは対人関係でこういう風な理由で腹を立てた事はありませんか?
「なんでこんなルールも守れないの!」
「なんでこんな簡単な事もできないの!」
「なんでこんな悪い事をするの!」私にはあまり無い感覚なのですが・・・例えばルールを守らない場合に私はどのように感じるかと言うと
「ルールを守らなかった背景に何か理由があるのかもしれないけど、それが解決されるまではルールを破ってくる前提で対応しないといけないな」
という事で、感情の無い機械的な対応と思われるかもしれません。
では、なぜ私があまり相手を怒らないのかというとそれは
相手に期待していないから
以外の何でもないんです。
極論に聞こえるが、不思議と納得してしまう。他者に対して不満や怒りが湧く原因は、そもそもその人に期待し過ぎだからという指摘は、至極ごもっともだと思える。
その人が例として挙げていたのは、これまた極論だが、セミの話だ。セミは捕まえようとすると、しっこを発射して身を守る。
しかし、セミについてしっこをかけられたことに激怒したり、セミの礼儀がなっていないことに不満を持ったりする人は少ない。
ヘンな話だが、それはセミにそもそも、人様に小便を引っ掛けないということを期待していないからである。期待している人は、ちょっとどうかしている。
だが人間に小便を引っ掛けられたら、それはもう烈火のごとくキレるだろう。それは、そんなことなどするわけないと、心のどこかで期待しているからだと言える。
逆に言えば、他者に対して期待することを意識的に止めることができれば、その瞬間から日常生活におけるストレスは減っていくという論理になる。
この考え方そのものについて、結構提唱している人は多い。例えばオンデーズ代表の田中修治氏や、ひろゆき氏も、著書やインタビューで期待の愚かさをよく語っている。
特にひろゆき氏はそれを徹底していて、基本的に周りの人は見下しているとさえ発言するほどである。しかしそれは、徹底して期待をしないという意味ではないかと思う。
その人について不満や怒りを抱いたときにやるべきことは、その人に対する期待値を意識して下げること。それ以上でもそれ以下でもない。
そう考えると、意外とこういうネガティブな感情との折り合いは、シンプルな方法論にまとまるのかなと感じられるようになっている。
"課題の分離"が標準装備された思考。
サイコパスという名前がそもそも誤解を招きそうではあるが、ここにカテゴライズされる人たちは、【課題の分離】の、天性のプロなのではないかと思う。
自分に変えられるところと変えられないところを即座に見抜き、その上でどうにもできないところには一切介入しないという思考が、常日頃から発動できる。
期待を完全に手放すことができるのは、この天賦の才ゆえに成せる業ではないか。そんな風に感じている。
そもそも期待というのは、相手が自分にとって好ましい言動を取るように変わるのを、無責任に願うことだと僕は考えている。
いわば、自分にコントロールできない部分に意識を向けてしまっているということだ。これは宝くじが当たらないことに憤る残念な人たちと、やっていることは同じである。
期待を手放すためには、そもそも自分に変えられないところをきちんと仕分けることが必要になる。そして天賦の才が無くても、その域に訓練で近づくことは可能なはずだ。
絶対音感を身に付けることはできなくても、相対音感があれば、とりあえず楽器の演奏は楽しめるのと似ている。そこは前向きにありたいなと思う。
期待を手放し、あるがままを見つめる。そのあるがままについて、相手がグーを出したらパーを出すような手を採り続ける。感情はそこに織り交ぜない。
サイコパスが共通して”持っていないもの”を、意識的に装備する。これができれば、肩の荷がもっと下せるなと、そういう予感がする。
では今日はこの辺で。