僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

「結婚はしたいけど、俺を選ぶようなアホとは結婚したくない」←超わかる

時折、心の奥底に刺さり、さながらシンギングボウルを鳴らしたときの様に、僕の価値観と強く共鳴するような言葉に出会う。

 

ただ、どれだけ強い音を鳴らしても、いずれは消えて無音になるように、その言葉と出会ったことは覚えているのに、それが何だったかは、ほぼ全て忘れてしまう。


そんな中でも、10年くらい前に出会った言葉で、そのときの感動が全く薄れることなく残っているものがある。

 

正確な言い回しはうろ覚えだが、それがタイトルにあるフレーズ、「結婚はしたいけど、俺を選ぶようなアホとは結婚したくない」というものだ。

 

・・【観察力の鍛え方】を読んで以来、僕は「わかる」と安易に口にするのを控えている。それはコミュニケーションの失敗であり、相手に対し心を閉ざすセリフだからだ。

 

しかし僕は、この言葉に対し、心の底から「わかる」と言いたくて仕方がない。僕が抱える闇、矛盾、想い、諦め、その全てがそこに内包されているからだ。

 

あたかも誰かが僕の心を勝手にあさり、それを取り出して言葉にしたかのように、僕が感じていることをこれ以上なく正確に、端的に言い表している

 

今日はその誰にも伝わりそうにない興奮を、できるだけ言葉にしておこう。

 

 

夢が覚めるまで。


僕は人生で5回ほどフラれたことがある。

 

最後のヤツは今から6年ほど前の話であり、なぜそこからそんなに期間が空いたかというと、単に色々悟ったから、というだけのことだ。

 

最初の数発は学生の時分であり、まだまだ世間のことも、自分のことも解像度が低く、だからこそ無条件に相手も自分も信じられていたのかな、と思う。

 

その都度僕は、皆そうだろうけど、深く落ち込み、絶望の中を数日間彷徨い、そうすることに飽きたら自分をより良くする努力を考えて、取り組むというのを繰り返した。

 

身体も鍛えた。おしゃれも勉強した。テストの点数も上げたし資格も取った。相手と気分よく会話する方法も、友達相手に何度も練習した。

 

それでもダメで、また努力してもやっぱりダメで。確信があっても自信があっても、相手の心は動かせず、本当に絶望した経験は、一度や二度ではない。

 

―だから目線を変えた。「なぜ相手にとっては、僕をフることが正解なのだろうか?」と問い直した。答えは簡単だ。「付き合うメリットが無いから」である。

 

・・では、メリットが無いとはどういうことか。努めて冷静に、数学の問題を解くよう、考えた。だが流石に、一朝一夕で答えは出なかった。

 

数年ほど折に触れて考え続けたのだが、ある日突然、彼女たちの嗅覚の鋭さ、眼力の強さ、そして現実の身も蓋も無さが、全て一気に実感できてしまった

 

それは僕が大体30歳の頃であり、そこからは急に熱が冷めたように、恋愛だの結婚だの子供だのが全くもってどうでもよくなってしまったのだ。

 

なにかがバグって、仮に今「付き合ってください」と異性から言われたら、僕はマルチ商法か何かの勧誘としか思わない。その理由は、先述の実感に紐づいている。

 

―ということで、ここからが本題っちゃ本題。「結婚はしたいけど、俺を選ぶようなアホとは結婚したくない」というセリフの裏にある現実を、一気に言葉にしてみよう。

 

俺を選ぶやつは、マジでアホ。だって・・・・・・

 

ここからは雑多な情報を乱暴にまとめた感じの文章になっているので、推敲はしたけど、結構取っ散らかっている。そこだけはあらかじめご了承いただきたい。

 

まず前提としたいこと。出典は不明なのだが、結婚相談所か何かのデータによると、男性の価値とはつまり年収であり、女性の価値はつまり若さというものがある。

 

それ自体正直眉唾物でしかないのだが、それをビジュアル化した以下の表は、こうしてみるとなかなかにその通りだな、という印象を抱かされる。

 

https://precious-lover.info/value


ところで、男性の”全国的な”平均年収は、ざっくり以下の通りらしい。(大卒限定らしいけど)

【連載 その希望年収、適正ですか?】大卒年収調査2022年版 年齢別編 男性38歳で800万円超、女性45歳で600万円超|日経転職版

 

パパ活というものが、若年の女性と中年の男性で成り立っているイメージがあるのも、この表を見ると視覚的に理解できる。

 

―と同時に、基本的に高校生や大学生の片思い(特に男➡女)が実らない理由も、一目瞭然だ。

 

例えば20歳であるなら、男は1000万円の年収に等しい何かを提供できなければ、絶対に同年代の女子とマッチングすることは不可能だと言える。

 

超絶イケメンとか、実家が裕福とか、何かしらのスポーツや組織で頂点に立っているとか、医学部とか東大京大といった肩書が無いと話にならない。うむ、納得だ。

 

この時点で男性は、若い頃に同級生に思いを寄せるなんてのは、とてつもなく愚かというゲームだとわかる。そしてその同級生がハイスペックなら、もう可能性はゼロだ。

 

ちなみに僕の年収は、僕一人で生きる分には全く困らないが、二人を養うことなど絶対にできないくらいの額である。(住んでいる場所が地方というのもある)

 

そこに子供なんてプラスしようもんなら、即座に破産するだろう。そういう意味では、僕が今、異性に対し訴え得る価値は、ゼロと考えていい。

 

では、今は力を蓄えて、いい年になったら女子高生や女子大生と付き合うというのはどうだろうか。書きながら思ったが、めっちゃくちゃ気持ちが悪い。吐きそうだ

 

そんな股間から身体が生えているかのような思考は、僕には理解できない。じゃあ、自分にとって、そんな関係性も努力も、まるで必要ないではないか。

 

そういう結論に達したのもあり、30歳になる頃には、恋愛という何かに関して完全に興味を失ってしまった次第である。

 

・・・そんな僕でも、時たまふと、彼女という存在がいたらいいなと思うときがある。一緒に水族館とかにキャンプに来てくれる人っていいな、という風に。

 

しかしながら、そんな淡い何かを思った数秒後には必ず、自分のメタがお節介にも僕の夢を覚ましに来てくれるのだ。

 

「それって彼女である必要なくねー?」「なんだかんだで一人で行った方がたのしくねー?」「オメー、他人に合わせることが好きじゃないんじゃなかったっけー?」

 

「恋人を作るまでの手間暇を考えてみろよー?」「絶対めんどくせーよー?」「おめーそんな恋愛もどきで払ったコスト、一つも回収できてねーじゃねーかよー?」

 

という風に。

 

そしてその声に、僕は必ず論破される。儚くてくだらない夢は、川の水面で泡が一粒弾けるかのように消えて、また無に戻る。これを、何十回繰り返したことだろう。

 

・・・ところで周りに子供ができる度に、少し羨ましいという自分が居ることに気付く。日本の制度上、子供を育てるには、誰かと籍を入れるのが一番合理的だとも思う。

 

それはつまり結婚なのだが、ちょっと待てよ、と。何か喉に骨が刺さった感覚があるので、自分に子供が生まれたらどうなるか、簡単にシミュレーションしてみた

 

俺は夜泣きに耐えられるか?子供を自分の人生の中心に据えて、主人公の座を渡しても後悔しないか?教育という課題に向き合えるか?

 

発達障害を持って生まれても、苛立つことなく愛せるか?俺の何を遺伝してその子は生まれるんだ?その子のためを考えたら俺の年収はどれくらい必要なんだ?

 

等々。考えれば考える程、自信が無くなっていく。何の、と言われれば、勿論、父親としてやっていく自信である。

 

器量も収入も能力も、どれもこれも足りている気はしない。誰かの父親として、ここまで綺麗に向いていないのも面白いなと思えるくらい、当てはまらない。

 

それに、僕の血を引く子供ということは、僕の遺伝子を半分引き継いで生まれるということだ。しかし、僕の遺伝的なものは、大抵ロクなものがない。

 

調べたところ、痛風遺伝子、偏頭痛、HSPADHD的な何かは引き継がれるのに、例えば勉強して詰め込んだ知識、鍛えた能力は、全く受け継がれないそうだ。

 

それは、もう・・可哀そうだよな、と。わざわざハンデを与えるとわかったうえでこの世に送り出すのは、酷いよな、と。

 

そう考えた辺りで、イヤでも気付く。恋愛や結婚、子供の存在のどのルートを選んでも、僕を待ち受けるのは、考え過ぎによる不幸なのだ。

 

もちろんそれら全て関係なく、なんだかんだで結婚してよかった、子供を授かってよかったと思っている自分が、どこかの世界線に居るのかもしれない。

 

しかしその確率は低いと心の底から納得している以上、期待値があまりにも低いギャンブルに参加するようなものである。どうしても、そう思ってしまう。

 

―ということで、タイトルの裏に隠れた、身も蓋もない思いをまとめておこう。

 

結婚や恋愛に憧れる気持ちは、ゼロではない。しかし、ここまで不適格な自分を選ぶような人は、相当なアホである。そして、そんな人とは結婚したくない。

 

わあ、救いがない。でも、そう思うってのは、全く嘘ではない。僕なりに厳密にロジックを重ねた結果たどり着いた結論なので、数学の証明よろしく、崩れる余地がない。

 

恋愛というゲームには参加資格がない。父親になるのも向いてない。そんな俺を結婚相手に選びたいなんて人は、天使ではなく、相当人を見る目が無いだけだ。

 

考えすぎたことによる、ある意味救いがない帰結。そこに至る論理を自分もなぞったことがあるために、この言葉に強く共感しているのだと納得している。

 

結婚はしたいけど、俺を選ぶようなアホとは結婚したくない。最初は切ない響きの言葉だと思っていたが、今はすごく俯瞰的な目線で己を見れた人の言葉だなと思っている。

 

では今日はこの辺で。

 

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