今日は恐らく、ものすごく引かれる趣味の1つの話をする。まぁ、わかりやすい変態的なそれではなく、「大丈夫か」という意味でのそれなのだが。
端的にそれを言い表す言葉が見つからなかったので、今は「あえて闇の底に沈む時間(仮称)」と呼ぶことにする。
命綱を付けた上で、底の見えない井戸をずんずんと下り、段々と音も光も消えていく空間の中に浸る。メンタルイメージとしてはすごくピッタリだ。
特に連勤が続いたり、精神が張り詰めた時間が長かったりした際は、この時間を意識的に取るようにしている。ある意味、荒療治によるリラックス法の1つである。
今日はそういうダークネスなお話をする。尚、ちょっと閲覧注意なことを書く部分もあるので、注意されたし。
どこまでも、「今」という場所と時間から離れていく。
心が疲れてきたとき、よく旅行に行く人がいる。それはストレスの対象から物理的に距離を取るためだと思う。それ自体は否定しない。むしろ理解できる。
しかし僕の場合、「社会人大学人見知り学部卒業見込み」でも似た話が書かれていたが、旅先でも悩むタイプなので、その効き目は限定的だ。
だからもっと徹底する。距離を取るのは当然だが、時間軸でも、世界線でも、できる限りの空間と壁を敷き詰めるのだ。
更に端的に言えば、「大昔を舞台にした、平和とは程遠い世界線の物語や記録に浸る」という感じ。どんどんと意味が解らなくなってきた。
だからその具体的施策にいよいよ入っていこう。病気なのではと疑われるとしたら、それはここからの話である。
凄惨・漆黒・深淵・衝撃。
まず、部屋の明かりを最小限にする。昼間なら、遮光のカーテンをきっちり閉める。ついでに、ここ最近は耳栓を使うこともある。
その上で、大昔を舞台にした、平和とは程遠い世界線の物語や記録に浸る。具体的にそれは何なのか。ソフトな方から書いていく。
僕は明治~昭和の作家が好きで、まだまだニワカなのだが、「こころ」や「門」、「人間失格」を読んでいると、どんどん没入できる。
なぜかと言われたら答えるのが難しいが、ポップとは程遠い重さと、現代社会とは似て非なる昔の社会という舞台設定が好きだから、という感じだ。
胸の内の苦悶、葛藤。普通なら隠したまま墓場に持っていきそうな闇が、綺麗な言葉で、物語として並んでいるのを追う時間は、本当に充実したものだ。
反発を抱くのではなく、むしろ同調や親しみをそこに覚える。例えば最近、「門」に出てくる「社会の罪人」という言葉が、なぜかものすごく印象に残った。
・・・こんな風に小説をずっと追うだけでもそこそこ深いところに行けるのだが、時にはもっと今の悩みとかそういうのから己を切り離したいこともある。
そういう際に無意識に読んでしまうのが、過去に起きた凄惨な事件の記録だ。詳細は紹介しないが、読んでいるとものすごく胸の奥から血の気が引く感覚がある。
決して愉快ではない。無いのだが、不思議と没入はする。ますます井戸の深いところへ自分で入っていくような感覚だ。向こうから抱きしめられないか怖いほどに。
・・・一応具体例を列挙してみる。僕が幼少だった頃の平成初期は、今思えばなかなかに狂った時代だったと思う。あの頃の話を読むと、なぜか起きたまま、意識が遠のく。
風船おじさん、地下鉄サリン、酒鬼薔薇。これらのWikipediaの記事は、雑多であるがために情報量が大変多く、目で追うだけで時間がすごく掛かる。
また、YouTube動画でもたまに取り上げられる、海外のヤバいサイコパスたち。ジェフリー・ダーマー、ジョン・ゲイシー、デニス・ニルセン、バーコウィッツ。
この人たちの記録をまとめた動画を観ていると、その凄惨さに顔を顰めるところもあるのだが、僕が生きている社会とはあまりにも違い過ぎて、逆にのめり込んでしまう。
他にもキリがないくらいテーマは多岐にわたるのだが、長かったら3時間以上、僕はこういう話をハシゴして、どんどん井戸の底に降りていく。
決してそこに自己投影は無い。殺したいほど憎い誰かがいるから、というガチでヤバい理由ではなく、底に降りていくためのツールという距離感でしかない。
こうすると不思議なもので、意識はどんどん研ぎ澄まされていく。その情報を追うこと以外の思考は完全に消える。その静けさは、ある意味かなり心地よい。
ゾーン程の静寂さは無いが、ゾーン程の難易度は無い。しかも持続時間はすごく長い。だから本気ですることのない休日のお供としてはすごくピッタリなのだ。
・・・もう少しソフトな感じでこの感覚を疑似体験されたいのであれば、歴史をじっくり読むことをオススメする。
特に平和になる直前の時代の話が興味深いと思う。日本なら元寇や戦国時代、アメリカなら南北戦争後、ヨーロッパなら薔薇戦争中、という風に。
コツは、如何に自分が今生きている時間軸・世界観から遠い世界に没入するかだ。だから人によっては、アニメや映画で十分な可能性は大。
単に僕の場合は、起点は大体退屈という感情なので、それに沿ってポップじゃないテーマを選ぶようにしているという、ただそれだけである。
とはいえあまりにも凄惨過ぎたり、残酷過ぎたりすると、胸糞悪さが上回って逆に潜り込めないので、そこだけは注意されたし。
ということで僕はこれから、「門」を最後まで読み、井戸の底へ潜ろうと思う。出てくることには、何かを闇に捨てられていることを願いながら。
では今日はこの辺で。