2年ほど前、こんな記事を書いた。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
この時は『社会不安障害』という言葉を初めて知ったタイミングで、かつその定義に自分が合致している気しかせず、急ぎまとめたという裏話。
だが、自分が感じる生き辛さや、恐怖を覚えるタイミングを思い起こしながら、色々と調べると・・。
僕はここからワンランク上の闇を抱えてるのでは?と思うようになった。多分、僕の症例はかなり重い。
自分の行動のクセや、過去の発言、また色んな文献を調べた結果をまとめると、その意を強くせざるを得ない結論が出てしまった。僕の闇はどこまでも深い・・。
ということで今日は久しぶりに、闇にまみれたカミングアウト記事を書いてみようと思う。
何というか、同じような闇を抱えた『仲間』に、何かメッセージが届けば良いなと思う。
では、続きは以下から書いていく。
『社会不安障害』と『対人恐怖症』。
これらについて、面白い実験が行われていた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjbt/33/2/33_KJ00008938095/_pdf/-char/ja
この論文にある情報をかいつまんで説明すると、『社会不安障害』と、『対人恐怖症』は、以下のような定義の違いがあるという。
『社会不安障害』
→自分が話しかけたり、不適切な行動を取ったりすることで、周囲に不快な思いをさせることを恐れる
『対人恐怖症』
→自分の視線・しぐさ・外見等が周囲に不快な思いをさせることを恐れる
・・・定義だけなら『対人恐怖症』の方がヤバいのはよくわかる。社会不安障害は、行動の結果で、対人恐怖症はそれ以前の段階、という感じだろうか。
分かりづらいので、少し例え話を混ぜてみる。
野球で言えば、『ここで凡退したらチームに迷惑が掛かっちゃうな・・どうしよう・・』というのが『社会不安障害』である。
『対人恐怖症』レベルになると、『変なスイングをして笑われたらどうしよう・・』とか、『三振してバカにされたらどうしよう・・』という風に、重篤さが増す。
―突然だが、ここまで読まれて、あることに気付かれたかもしれない。
そう、『この2つ、ぶっちゃけ同じこと言ってね?』という話だ。これは僕もそう思ったし、論文にも似たようなのが書いてあった。
それを踏まえて読み進めてみると、結論として以下のものが出ていた。
『社会不安障害』も、『対人恐怖症』も、その傾向が強い人ほど、他者の曖昧な行動を否定的に解釈する!
おお、なんかすごくバシっと言い切っている。なんか、遂に答えを知ったという感覚に近い。
・・・ただ、これまたちょっとアバウトなので、詳細は次の項にてまとめていく。
他者の曖昧な行動を否定的に解釈する・・とは?
反論されたり批難されたりすれば、落ち込んだり凹んだり、ムカついたりする。
逆に、ものすごく称賛されれば、恥ずかしかったり嬉しかったりする。
これらは人によって特に解釈が分かれない、もとい反応に違いが出ない、『他者の意図がハッキリした行動』である。
では、『曖昧な行動』とはどういうモノか。論文では、以下の例が使われていた。
①髪をかきあげる
②頭をかく
③ほおづえをつく
④脚を組む
⑤せきばらい
つまり、良い反応とも悪い反応ともズバッと分けにくい仕草のことだ。
これをどう解釈するかによって、色々分かるという。(そもそも気にも留めないというケースも多い)
尚、今回の検証とは、被験者が一人の評定者に向かい、4分のスピーチを行うというものだ。
その評定者は上記の①~⑤の行動を取るので、それを被験者はスピーチをしつつ観察し、終了後にそれについてどう感じたか、アンケートに答える。
そしてそれを分析し、『社会不安障害』の傾向にある人と『対人恐怖症』の傾向がある人の差異を見つけ出そう・・という感じ。
結果出たのが、さっきも書いた、
『社会不安障害』も、『対人恐怖症』も、その傾向が強い人ほど、他者の曖昧な行動を否定的に解釈する!
という結論だ。例えば、『髪をかきあげる』という仕草に対し、『自分の話がつまらないに違いない・・』と解釈するような感じ。
ものすごくよくわかる。わかりまくってしまう。他者の何気ない行動を否定的に解釈するのは、僕のウルトラ得意技だ。
だがこれだけでは、『社会不安障害』と『対人恐怖症』を持つ方の生き辛さは、多分伝わらないと思う。それは論文を全部読んでも同じだ。
ということで以下、ドン引きされるのを承知の上で、両方拗らせている僕の脳内を言葉にしてみよう。
『社会不安障害』と『対人恐怖症』の男の哀しい脳内。
僕は人に説明することが仕事なのだが、それなりに準備期間や労力を使って仕上げたそれは、終わった後に無茶苦茶不安になってしまう。
理由は、『自分が気づいていない穴があったらどうしよう』と思ってしまうためだ。僕は、『まあ大丈夫っしょ』とは、何故か絶対に考えられない。
だから僕は毎度毎度誰かに猛烈に感想をいただきたいのだが、『ウゼーこと頼むなよ』と思われたらイヤなので、ひそかに一人で悶々としている。
それだけではない。昔、僕はこんなことを書いている。
そして、僕は全くもってモテていた経験がない。でも、それが普通だと思っている。僕で妥協する人はどこかがオカしい。
この信念は今でも変わっていない。仮に何かトチ狂ったことがあって、僕が異性から好意を寄せられたとしよう。
僕は必ず『猜疑』から始める。何かの仲間内の罰ゲームで、好きでもないヤツにアプローチとかそんなんがあるんだろう、と本気で思う。
理由は、恋愛とかそういう面倒でリスクだらけの行動を取る相手として、自分にそんな価値があるわけないと心の底から感じているためだ。
もはやここまで行くと病気であるが、とりあえず異性に関しては、ポジティブに解釈した結果全部失敗しているので、そう考えるのはもう止めた。
つまり、些細なことでも『自分に都合が悪い方に』解釈するのが、この思考の特性であり、結果円滑なコミュニケーションを阻むのだ。
一歩踏み出す勇気を自分でことごとくへし折り続ける。僕は重篤なそれだと思って差し支えない。
あーあ、生き辛いなぁ、チキショー。
・・・ということで、これら2つのネガティブの極みを克服する、或いは治すための方法を調べてみた。すると、結構あった。
割と即効性があるのも見つけたので、最後の項でそれを皆様にシェアしておく。
VS『社会不安障害』と『対人恐怖症』。
深呼吸
『不安や緊張に潰されそうになったら深呼吸だ!』とよく言われる。あまりにも使い古されているためピンとこないが、実はかなり効果が高い。
ただ、コツがある。深呼吸時は息を吐いているときにリラックスできるので、その時間を長くとることだ。
例えば、4カウント息を吸い、7カウント止めて、8カウントかけて吐く・・という呼吸法がオススメだ。僕も結構、お世話になっている。
運動
場所を少々選ぶのだが、運動をすることでネガティブ思考からクラッチを切ることが出来る。
基本社会不安障害も対人恐怖症も、言い知れぬ『不安』との戦いだ。そして『不安』な気持ちから抜けるコツは、そこから注意を反らすことにある。
不思議なもので、全力で運動をすると、頭からネガティブを追い出せる時間ができる。一瞬でも注意を切れれば、ほぼ脱したも同じだ。
普段運動不足とかどうこうは関係ないので、ぜひ取り組んでみてほしい。
注意訓練法
こちらで紹介されていた方法。簡単に言えば、意識して『脳内の不安』じゃないものに『集中する』という訓練だ。
エアコンの音、風の音、車の走る音、なんでもいい。まずは音に意識を向ける。
そしてある程度ぼーっとしてきたら、別の音に改めて意識を向ける。
最後に、その両方の音に意識を向けていっちょ上がりだ。これは場所を選ばないので、鍛えたらかなり使えるツールになりそうだ。
※その他ネガティブと戦う方法を知りたい方は、コチラが参考になります↓
終わりに。
ということで、心の中の闇をムチャクチャに書き殴ってみた。
得てして、病気でもなんでもない心理的なお話なので、理解無き人たちから『甘え』と言われるのが、この思考の面倒なところでもある。
だが、こんな風にかなり重篤な人間も、何とか曲りなりに生きているので、どうか他の皆様も安心してほしい。
最近その意を強くしているのだが、やはりどんな気質も使い方だ。実際、『不安傾向』が強い人にも、成功するための道があるという。
ちょっとは希望が湧いてきた。2020年も、僕はネガティブや不安、そして人見知りと、肩を組みながら歩いてやる。そして、人生楽しんでやるもんね。
そんなヘンな誓いをもって、今日はこの辺とする。
※過去のカミングアウトシリーズはコチラ↓
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