僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

コミュ障と人見知りは同義じゃないぞ!と伝えたい。

コミュ障という言葉がある。

 

コミュニケーション障害の略だというが、すごく簡単に言えば、意思疎通を図るのが滅茶苦茶苦手な人のことを指すのだと思う。

 

この定義で言えば、僕は余裕でコミュ障だし、自覚もバッチリである。

 

コミュ障に関する意見や記事を読むと、得てしてオタクと呼ばれる人たちや要素をもってコミュ障の典型例とすることが多い

 

問題提起というかただの軽蔑(或はネタや謙遜や自虐)としてこの言葉を自分や他人に使う人が大半だと思う。

 

これは個人的な印象なので、本当のところはどうか知らないけど。

 

ここでふと思うのが、「人見知り=コミュ障」なのか?という点である。

 

もしそうだとしたら、人見知りってだけで何か救いがない感じがしてすごく嫌である。

 

最初にハッキリいうと、『人見知り=コミュ障』とはならない。理由は、反例などいくらでも挙げられるからだ。

 

今日はその根拠について、つらつらと書いてみようと思う。

  

コミュ障の定義とは

 

以下のサイトを参照すると、コミュ障の定義について述べられていた。

comyusyo.nerim.info

 

それがこれ。↓

 

 

会話が困難

・他者の心を読むことが難しい

 

・人が口に出して言葉で言わなければ、意図していることが何かを理解できない

 

・ほとんど人と目を合わせることができない

 

・目が合うとドギマギしてしまう

 

・じっと人の目を見つめて続けてしまう

 

・会話しようとしても口からうまく言葉が発声できない

 

・相手の話している言葉を、意味のある音声として理解できない

 

・話の文脈を読み取り理解することが困難

 

・ある話題を話しているのに、話題がそれてしまい、全く別のことについて話し始めてしまうなど、話題を維持していることが困難

 

・自分の関心のある分野について、一人で長々と話し続けることがある

 

 

などなど。僕は2つ3つバッチリ該当しているので、筋金入りのコミュ障なのだろう。

 

当人としては、日常生活に不便だけど、実害らしい実害はそんなにないのであまり気にしていないけど。

 

この定義をよく見ていくと、改めて「人見知り=コミュ障」とはならないな、と思った。

 

元々これが前提で定義を読んでるフシがあるので、思うのは当たり前だけど。

 

ということで次に、僕が今まで出会ってきた人たちの中から、反例になり得る人たちを紹介する。

 

人見知りだけどコミュ障じゃない人たち。

 

心当たりは山程ある。

 

例えば、友人の前ではすごく大人しいのに、舞台が変われば全校生徒の前でスピーチを堂々とできるヤツとか。

 

決して底抜けに明るいわけではないのに、先生からヤンキー、女子、子どもまで、誰に対しても適切な返答ができるヤツとか。

 

引っ込み思案かと思いきや、話題を提供し、話を振り、場を盛り上げる達人なヤツとか。

 

僕から見れば「お前ら人見知りじゃねぇだろ」と言いたくなるような彼らである。

 

しかし全員が口を揃えて、「俺人見知りなんだよね。人とずっと話すのは正直しんどいわ」と言うのであった。

 

ここまでできれば、コミュ障ではないハズだ。

 

彼らがコミュ障ならば、コミュ障じゃない人は全人口の0.数%しか居ないのではと思う。

 

もっとも彼らは、乗せられて舞い上がらない為の自戒として、己を人見知りと称していたのかもしれないけど。

 

もしそうなら、それはそれでなんか勝てる気がしない。

 

人見知りじゃないけどコミュ障な人たち。

 

これまた山程出会ってきた。

 

ちょっと悪意のある表現になるけど、具体例を挙げないとイマイチ伝わらないのでご容赦頂きたい。

 

尚、プライバシーには配慮しているつもりである。

 

例えば、全員が不快な顔を思い切りしてる空間で、ギターの弾き語りを延々とするヤツとか。

 

盛り上がってる会話の輪に潜り込んで、よくわからないことを言って白けさせ、場をぶち壊して去っていくヤツとか。

 

何言ってもヤバイやウケるでしか返答しないヤツとか。

 

これまたキリがない。彼らの共通点は、全員底抜けに明るいという点だった。

 

意思疎通ができない、周りの状況が見えていないという点では、コミュ障の定義にバッチリ抵触してると言える。

 

彼らはまさか自分がコミュ障なんて、夢にも思った事はないだろう。

 

尊敬はしないけど、僕にとっては他人の顔色が全く気にならないなんて、ある意味羨ましい生き方ではある。

 

ちなみにこの思いを博識な友達に言ってみたところ、「その分周りの人は損してるから、得な生き方かどうかは微妙だよね」と返された。確かにと思った。

 

僕なりの結論。

 

こういう例を見てきたので、僕はやっぱり、「人見知りであれば即ちコミュ障」という命題は偽だとしか思えない。

 

「人見知りであればコミュ障の可能性高いけど、絶対じゃないよね」

 

とか、

 

「人見知りじゃない人はコミュ障の可能性低いけど、これも絶対じゃないよね」程度なのではなかろうか。

 

ということで、

 

「人見知りってことは、つまりコミュ障だわ。この意思疎通能力が重視された社会では、俺は落伍者なんだ・・。」

 

なんて思うのは早計である。だからそこのアナタ。元気を出して。

 

尚、僕は自他ともに認める「人見知りのコミュ障」である。救いがないポジションのヤツである。

 

こんな僕でも曲りなりにここまで生きてこれたし、やりようはあるのだろう。

 

なんか変な〆であるが、とりあえず僕は前を向いて歩くことにする。

 

そろそろ何か、人見知りがぶち当たる困難の対応策みたいなのを書かないとなぁ・・。

 

※人見知りに役立つスキルなどのまとめはコチラ!!↓

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

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