僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

【甘え】とかなんとか好きに言え。『ゆとりの時間』はネガティブにこそ必須!!

ネガティブには頑張り屋さんが多いと感じている。

 

僕自身もどちらかと言えば自分に妥協を許しづらいし、周りのネガティブもそんな気がある。

 

では、頑張り屋さんネガティブは最終的にどういうところに行きつくのか。

 

もちろん、その頑張りが認められて、出世を遂げる人もいる。また、人格者として尊敬の対象になる人もいる。

 

 

しかし、この思考法は大きな危険も孕んでいると思えてならない。

 

例えば、妥協を許さず、暇を嫌い、頑張って頑張って、でも頑張りが足りないのではと自分にプレッシャーをかけて。

 

その結果待っているのは、最悪精神の疲弊だろう。頑張りの果て、潰れて表舞台から消えた人を僕は知っている。

 

彼らが潰れた原因は何なのだろうか。どうすればそんな悲しいことを防げたのだろうか。

 

今日はその辺を、ネガティブで人見知りの観点から見つめなおしてみる。

 

 

  

なぜネガティブほど頑張るのか。

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ネガティブの思考の根底にあるのは、『自分に甘えを許さない』であることが多い。

 

『ただでさえネガティブな俺だ、頑張らない俺に価値は無い』だとか。『周りを見ろ、みんな頑張っているじゃないか』だとか。

 

自分の中に、『疲れた』『帰りたい』といった声が湧いてきても、それを完全に無視し、『自分(実際はそれに見せかけた他者)の理想』に合わせようと四苦八苦。

 

そして理想に近づいたら、それを達成する前にハードルを上げて、延々とゴールすることのないレースを走っている状態になる。

 

字に起こすと非常にしんどいプロセスなのは明らかだ。しかし、この過程を脳内で処理していると、案外気付けない。

 

鬱に片足を突っ込んでいると尚更だ。労りの声さえ、自分を追いつめる悪魔の囁きに聞こえてくる。

 

はっきり言うと、このモードは、他者評価に依存している状態だと言える。

 

そしてこの思考法で生きている限り、自己肯定感や自己重要感が満たされることはほとんどない

 

例えば、『人を褒めよう!』という題目の書籍やセミナーは、あらゆる市場に溢れている。

 

つまりそれは、出来てない人がまだまだこの世にごまんといるということである。

 

だからこそ、『誰かが褒めてくれない』=『自分には頑張りが足りない』という考え方はものすごく危険だ。

 

むしろ、『頑張れば必ず誰かが褒めてくれる』など幻想である。それに気付かなければならない。

 

自分が思っている程、他者は頑張りを見てくれているわけではない。みんなそこまで暇じゃないのだ。

 

だからこそ、精神を切り詰めて朝から晩まで頑張るのは不毛だとここで念押ししておく。

 

サッカー選手も、試合時間全部でフルパワーを出すわけではない。然るべきところで然るべき集中力を出し、結果を出せば良い。

 

 

『頑張り屋さん』よりも、『適度に手を抜ける人』では、生まれるものの差がないことも多く、何なら、後者の方が結果を残すこともしばしばだ。

 

だからまず、『ネガティブは他者に認められることを生きがいに頑張る気質を、無意識に抱えていることが多い』のを認識しよう。

 

その上で、『しかし他者が頑張りを認めてくれることは稀』だとも悟っておこう。

 

かつ、『適度にゆとりがあった方が、案外結果が出たりする』といういささか残酷な事実も覚えておこう。

 

―とはいえ、『頑張っている自分』にいきなり、『手を緩めろ!』と思わせるのは至難の業だ。

 

ということで以下、それの根拠を、なるべく精神論を排して述べていく。

 

暇な時間を悪と考えるのは止めよう。

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こんなデータがある。

www.asahi.com

 

 

簡単に言えば、『60分ガッツリ勉強し続けるより、15分×3で休憩を刻んだ方が、成果が出る』というものだ。

 

僕自身、これは経験としてもその通りだと感じる。

 

これは肉体労働でも同じだ。出典はうろ覚えだが、カーネギーの『道は開ける』で、同様のデータを見たことがある。

 

つまり、『細かい休憩は悪ではなく、むしろ必須』であると断言できる、ということだ。

 

根性論で何時間も頑張れ!というのは、こういうデータを見るとむなしく聞こえる。数値としてドライに考えても、やはりゆとりある時間は極めて大切なのだ

 

だが、ここまで伝えても、人目につくところで休憩を取るのは抵抗があるかもしれない。

 

何も、テンプレ通りの休憩を取る必要はないのだ。例えば、どこかで横になるとか、お菓子を食うとかまでしなくてもいい。

 

自販機まで歩いてジュースを買う。トイレに行く。こっそりネットサーフィンをする。新聞を読む。誰かと日常会話をする。

 

仕事から一度離れれば、それはしっかりとした休憩となる。そして数分程度休んだら、また区切られた時間で頑張れば良い。それできちんと成果は出る

 

とはいえ、休憩しながらの作業は、こなしたタスク量の総計が減るのではと、不安に思うこともあると感じる。

 

そこでオススメしたいのが、『作業の進捗を可視化する』という方法だ。

 

何も難しいことは無いので、以下簡単に紹介する。

 

書き出そう。

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『頑張った』『頑張ってない』という尺度は、極めて抽象的でアバウトだ。ここを可視化しなければ、恐らく永遠に終わりは来ない。

 

ということで、その日にしなければならない、或いはしたいことをリストアップしてみよう。

 

僕であれば、大体以下のように落ち着く。

 

①資料を作成する

②○○さんに△△の件で一報をいれる

③トイレを掃除する

④22:00から飲み

 

といった具合だ。あとはこれを、上から処理していけば良い。

 

そして終わったものは、横線なり○なりを引いて、目に見えて分かったようにしておく。

 

そうすれば、『自分の頑張り』が分かるだけでなく、『この日にどこまで頑張れば良いか』も一目瞭然となる。

 

やはり、ゴール地点は見えていた方が良い。

 

終わりのない『頑張らねば地獄』に陥っているのであれば、使ってほしいツールである。

 

終わりに。

 

繰り返すが、頑張り抜いた果てが『美談』になることは稀だ。

 

たまに激務などの思い出をしみじみ語る人が居るが、よーく聞いてみると、ほとんどが『過程』である。

 

『会社に泊まり込みで頑張ったさ』『100連勤をしたものだ』という人が作り上げた成果を聞いたことは、僕はほとんど無い

 

終身雇用の崩壊。AIの台頭。頑張りだけでどうにかなる時代では無くなってきた。

 

Excelを使えば一発の計算を、電卓を叩いて行っている場合ではないのだ。

 

『頑張ってるのに・・・』と正直心身が疲れつつも、報われを感じないのであれば、考え方をシフトしてみては如何だろうか。

 

血のにじむ努力の果てが、悲しいそれに終わってほしくない。

 

若造の浅い考えではあるが、それが伝わっていれば幸甚である。