僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

徹底して己の内面に向き合わずして、将来を左右する決断には至るべからず:第三部 ―【希望】や【期待】はクソ食らえ―

夜の何もしない時間が、漠然と不安になるから好きじゃないのですが、意識を変えてその時間を楽しむ方向に考えたい中元です。

 

はい。人生の節目をこれから迎えようとしている今、改めて自分の中で腹落ちしていない部分に着目し、言葉にし尽そうと決意している。

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

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僕自身の人生を振り返り統括するのではなく、僕自身が言葉にできていないあれこれを一旦全て言語化することで、「僕とは何か」を知っておきたいからだ。

 

前田裕二氏は、自己分析のために何冊ものノートを埋め尽くしたのだという。僕もまだ、内省が足りないのだろう。

 

大学の卒業論文の文字数に近付きつつあるのだが、それでもまだ、終わりが全く見えてこない。でもそれでいい。たったその程度の文字数で語りつくせない方が面白い。

 

ということで今回は、【希望】や【期待】をテーマに、僕が腹落ちしていないところを考えてみて、言葉にしてみたいと思う。

 

 

【希望】や【期待】を前提にすると、地獄へ落とされる説。

 

―最近はどうにも、あまりいい思い出が残っていない20代前半の頃に、人生が一周して戻ってきたような感覚を抱いている。

 

自分にとっての居場所と思える場所が見つかり、そこへ貢献しようと努力し、しばらくはそれが報われるも、いつの間にか努力だけではどうにもならない壁が現れて・・・。

 

気付けば現実が牙を剥き始めて、その冷酷な部分がよく見えるようになり、晒され続け、遂に心が折れた。それが、20代で最も強く、そして最も嫌いな記憶である。

 

今はまだまだ、心が折れるほどの段階までは差し迫っていないのだが、”そこ”へ向かって歩みを進めているような感覚がある。

 

流石に、同じ落とし穴に落ちたくはない。前回そのまま踏みとどまれたのは、単に運が良かったからだ。今回そうなれば、今度こそ簡単に生と死の境目を跨ぐかもしれない。

 

だから、考えた。まずそもそも、 20代の頃は、社会に何を求めた状態で、社会へ出てきたのだろうか

 

正直に言えば、この頃は若さゆえの無知ゆえ、世の中にかなりの【期待】をしていたし、それなりの【希望】を持っていた

 

社会は、自分にとってより良い環境を提供してくれる場所だ、と。そんな風に考えていたのだろうと、今なら思う。

 

しかし現実は酷であり、僕は愚かであった。現実の方が残酷な面を見せてくれても、僕はそれを「嘘」だと思って、【希望】や【期待】をし続けた

 

―その後の顛末は、ご存じの通りである。

 

さて。これこそが、僕がその心を折ってしまった最たる原因だとすれば、ではその逆の立場から始めたらどうだろうか

 

つまり、完全に諦めること、【期待】しないことを前提にしてしまうのだ。これは「大河の一滴」という名著にも書かれていた考え方である。

 

さて。世の中に期待しないとは、自分が主体的に働きかけない限り、現状は自分にとって都合のいいようにはならないと改めて理解することだ。

 

むしろ、自分が【期待】という言葉に包みながら努力の一切を怠っている間、現在と未来は、自分にとって不都合な方へ姿を変え続けると言い切ってもいいだろう。

 

自分にとって起きてほしくないことは、絶対に起きるのだ。職場の主力となる講師は、そのうち辞める。自分が長になる未来はない。昇進の話が出ても、どうせ消える。

 

不思議なもので、そうやって期待も希望もかなぐり捨てていくと、投げやりになるのではなく、「ではどうする?」という前向きな問いに意識が向いてくるのだ。

 

最悪の未来が起きることを受け入れつつも、それによって人生が壊されないようにするためには、どうすればいいのか。

 

これについては、もう見えている。僕の場合は、自分の努力や考えが、ストレートに報われるような仕組みを作り、そこに身を置くしかない

 

・・・・いや、”報われる”という言い回しにも、【期待】の意味が乗っているから、なんか使うのが嫌だ。意識して避けておこう。

 

もっとドライに言えば、努力も怠惰も、現実に起こる事象という形で即座に反映される環境に身を置く、といった方が自然かな、と。

 

自分の頑張りが合っていれば、良い結果という形で現出するし、逆に自分の考え方や能力といったものが悪い方に作用すれば、悪い結果という形で現出する。

 

そうすれば、まだ主体的に、社会に対して少しは働きかけができるというものだ。ただ流されるだけではなく、少しは足をバタつかせる権利くらい、欲しいではないか。

 

しかし、今のポジションでどう頑張ってみても、そういう環境には持っていけないと諦めている。やはり現実は、僕が起こってほしくない方向に進みがちなのかもしれない。

 

昇進の話は、またも気付けば立ち消えている。歴史は繰り返される。これについて、不満を言うのは止める。なんなら自分から進言し、この話を完全に消す所存である。

 

【希望】は抱かない。【期待】もしない。現在と未来は、基本自分にとって一番望ましくない結果ばかりもたらし続ける。

 

「ではどうするか?」―やはり、独り立ちなのだと思う。もちろんこの決断にもバイアスはかかりまくっているが、それでもここに辿り着いてしまうのは興味深い。

 

―諦めるところからスタートすると、腹を括って、自分なりに勝負を仕掛けるしかないという覚悟が生まれる。これは非常に強い推進力だ。

 

他力本願である限り、例えば別の組織に転職しても、ゆくゆくは同じような未来が待っているとしか思えない。行動を変えねば、同じループを繰り返すだけだ。

 

【独立】する、しないではなく、【独立】ありきで今後の身の振り方を考える。未来を決めて、逆算し、今の行動を変えていく。

 

行動・思考・反省・検証。どれかを毎日回し続けない限り、僕の行きつく先は人生二度目の心の破滅なのだ。あの地獄、もう二度と味わいたくない。絶対に嫌だ。

 

【希望】や【期待】はクソ食らえ。最後の甘えを切り捨てる呪文、皆様も唱えてみると、道が開けてくるかもしれない。

 

文化と価値観が次第では、努力も願望も無意味に等しい。

 

「悪いヤツほど出世する」という、非常に興味をそそられるタイトルの名著がある。

 

そこで読んだエピソードの一つに、すごく不愉快なものがあり、ずっと喉に刺さった魚の小骨のごとく、心の奥底に沈んでは浮かぶというのを繰り返している。

 

ただ、言葉にできていない違和感や不快感を言葉にしていくのがこのシリーズの狙いなので、臆せず突っ込むことにする。

 

その不快な話とは、ざっくり以下のようなものだ。皆様ならこの話にどういう感想を持つだろうか。少し思い巡らせながら、読んでみてほしい。

 

ある会社に、女性リーダー率いるAというチームと、男性リーダーが率いるBというチームがあった。

 

年度末に決算報告が行われると、Aチームの方が高い成績を出す見込みとなった。一方Bチームは、そこまでぱっとする数値ではなかったという。

 

―その後、Bを率いる男性リーダーは、なんと役員会に直接乗り込み、「自分がAB両方を率いるべきだ!」という持論を、魅力たっぷりに語ったという。

 

そして役員会が出した結論は、その男性リーダーの熱意に期待し、彼にAを託すというものだったという。

 

当然Aチームのリーダーである女性は意見を申し入れるが、決定は覆らず、その騒動の果て、女性はその会社を去ることになったのだという。

 

―実はこの件に関する相談を、事前にこの女性リーダーは筆者に行っていたそうだ。

 

「どうするのか」と筆者が問うた際、「説得してみます」という手段を選んだことに、著者は”ため息をついた”のだという。

 

そしてその女性リーダーは、今は別の会社で、生き生きと働けているとのことだった。

 

・・・僕の中で腹落ちしきれていないのは、いくつか引いた下線部のところである。そしてこれらを【問い】という形で書き直すと、こんな風になる。

 

「なぜ自分のことをここまで棚に上げて、自分は素晴らしいと語ることができるのだろうか」

 

「なぜその熱意に絆されて、現実の数値を無視した決定がなされてしまうのだろうか」

 

「なぜ筆者はため息をついたのか」

 

「なぜ女性リーダーは、その後生き生きと別の会社で働けているのか」

 

「こういう状況を受けたとき、自分ならどうするべきなのだろうか」

 

さて。不快感という強い感情が邪魔をしていたが、こうして明文化すると、それぞれの質問に答えることはさほど難しくないと思われる。

 

簡単に言うと、「自己愛が強いリーダーを良しとする組織に所属したのが運の尽き」という話なのだと思う。

 

例えば、ワンマン型の経営スタイルで、自分の知名度が上がることを良しとするリーダーは、その欲を満たしてくれる、似たような性格の人間を登用しがちである。

 

その価値観から見れば、謙虚さや誠実さは、「女々しい」「意思決定が遅い」「自信に欠ける」というマイナスポイントに作用してしまう。

 

そして先の例だと、女性リーダーがいた会社は、数値よりもリーダーのカリスマ性を是とするところだったのだろう。

 

だから、役員会に乗り込むという度胸と熱意が、論理的な説得に勝ったのだと言える。胸糞悪く考えれば、その人が女性だったことも遠因かもしれない。

 

ちなみに筆者は、こういった"残念なリーダーや組織"を研究してきたプロだ。

 

抗議や説得が通らないことなど、数多の実例を通じて百も承知であり、だからこそ彼らの良心を信じた彼女を哀れんだ、あのため息なのではなかろうか。

 

―もしこんなケースがあれば、僕ならどうするか。まあ、少なくとも転職だろうな、と。態度が数値に勝る環境下では、僕という地の性格では戦えないからだ。

 

或いは、部下全員に「あいつがリーダーになる」という話を漏らして、揺さぶりをかけてみるか、だ。どちらにせよ、良心には一ミリも期待しない手を採ることは確実。

 

先の女性リーダーは、結果転職する道を採った。ただ、それは上手く機能してだからこそ生き生きと働けているのだろう。そう考えれば結果オーライではある。

 

―正直、数値が態度に勝る価値観は、今の職場でも年々強くなっている気がする。

 

僕たちが作った営業成績は、「次年度は頑張ります」という宣言に負けて、うやむやになることが連続しているからだ。

 

僕の仕事を受けてくれる人たちにも申し訳なく思えてしまう。僕の力量不足ではなく、現行の価値観では評価されない自分の下に就けてしまったことに、だ。

 

この話が猛烈な不快感を纏っていたのは、実は僕自身が似た立場にあり、かつそれに対して打つ手を持っていないことに気付かされたのが、その理由だと考えている。

 

―ちなみに、なぜ自分のことを棚に上げられるのかという部分については、ある種の才能という結論でいいと思う。考えるだけ無駄だ。

 

自分はスーパーマンにだってなれると信じられていた子供の頃の論理。あれが大人になっても残っていると、こうも面倒で残念な存在になるというだけだ。

 

だがもっと残念なのは、そういう自信を真に受けて、その人は素晴らしいに違いないと思い込んでしまう文化・価値観だと思う。

 

「悪いヤツほど出世する」、か。含蓄があるが、同時に救いのない、だが真理をストレートに表現した、覚悟の決まる言葉である。

 

バーンアウトしました」


今日がたまたまそうだっただけだと思いたいのだが、ついに心を折ったあの日と同じ無力感を、この日強く抱いてしまった

 

その瞬間は、本当に”ふと”訪れた。

 

―始業から数時間。目の前には書類が大量に積まれている。そしてLINEを開けば、自分宛の仕事の依頼が大量に並んでいる。なぜかその光景を見たら、集中が切れた。

 

いつもならさっさと取り掛かって、とっとと終わらせるあれや、これや。しかしこの日はどうにも、取り掛かろうという気が起きなかった

 

「これを終わらせても、俺は評価されないんだろ?」「むしろこういうのをしない人の方が、出世していくんだろ?」そんな猜疑心ばかりが心に浮かんで、そして消えた。

 

例えば努力をしたところで、何にも状況を変える手助けにならないのが目に見えている手前、一体これから僕が消費する時間と体力は、何になるのか。

 

現実は、変わらない。昔から思っていたが、未来もまた、僕が一番そうなってほしくない姿を象ること以外は、その期待を裏切り続ける。

 

組織から、文化から、そして世界から弾かれている感覚。どこにも居場所がないという実感。未来も過去も現在も見えず、ただ外の環境音だけがやたら鮮明に聞こえてくる。

 

自分はなんて無力なのだろうか。いっそここから去ってしまおうか。僕はここに求められていないし、だからこそ僕にできることはもう無いのだろうな―。

 

―そういうところまで考えていたところ、偶然その思考は、生徒からの質問で中断されることとなった。もしそうでなかったら、どこまでいっていただろう―。

 

気付いた時、僕はごくりと唾を飲んだ。あれだけ嫌だった闇の側へ、本当に気づかぬまま、足を踏み入れるところだったことに、だ。

 

一体自分に何が起きたのか。その正体は、すでに言葉になっていた。僕は、「燃え尽きた」のだ。

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そういえばここ何日も、趣味に時間を費やしていない。ろくに休んでもいない。仕事の連絡が来なかった日もない。

 

仕事だけが生き甲斐になっていた。だがその仕事に関しても、最大の目標が達成不可になった今、生き甲斐が消えたということだ。危険だ。怖すぎる。

 

僕が評価されて昇進することがそんなに難しいか?と思っていたが、現実は全て正しい。僕が評価されることも、昇進することも、難しいのだろう。

 

幸い、明日明後日は台風により仕事が休みとなった。ここで一旦、なるべく心身を休めて、その敷居からは遠ざかるよう努める。

 

その上でも僕の決断が覆らなかったら、本心なのだろうと考えよう。繰り返すが、もう二度と、あの闇に突っ込むのは嫌なのだ!!

 

エグジット・オプションを使うとき。

 

「評価されないとわかっているのに努力をする虚しさ」。今僕が噛みしめている感情はこれだ。なんと舌触りが悪く、味の悪いものなのだろう。

 

だが冷静になりたくて、色々な人のインタビューや記事を読み漁るうち、【独立】の前段階に当たる考え方、もとい自分が目指した方がよさそうな道が、急に見えた。

 

それは【社内独立】だ。別の言い方をすれば、エグジット・オプションを用意する、ということだ。

 

もっと言えば、会社や組織に対しコミットする熱意や資本を意図的に削り、それを自分の足場固めに使うというものである。

 

具体的にはそれこそ、将来の独立に向けた、必須スキルの修得や、僕のストレスマネジメントに等しい。心の中で、強い言葉で言えば、見限ってしまうのだ。

 

僕はもう、この組織の中で昇進することはない。したところで、裁量を得ることは無い。だから、僕からのコミットも弱めていく。そんな風に。

 

別に個人個人が嫌いになったわけではないので、のれん分けという形での独立という選択肢を崩す気は無いのだが、それもまだフラットにしといた方がよさそうだな。

 

僕は真面目だ。どこまでも真面目だ。求められる仕事に対し、自分なりに改善点を自然に見つけてしまうし、どうすれば人がラクをするかも無意識下で考えてしまう。

 

だが、それをもう意識して止める。+αに注がれる労力を惜しもう。それを自分自身の成長に回そう。

 

いつ辞めても食っていけると胸を張って言えるように、努力するのだ。そのためには、求められる仕事に付加価値をつけず最速で終わらせて、それで終わりにすればいい。

 

腐っている暇すら惜しい。よかった、目が覚めた。僕は気づけば会社に依存していた。だからここまで苦しいのだ。それについても覚醒できたのは大きい。

 

属しつつも、どこかその外に自分を置く。そうだな、そっちの方が楽しそうだ。近々、「昇格の話はもういいです。されても断ります。」と堂々と言い切ろう

 

もうその将来に心は躍らない。力をつけて独り立ちして、リスクにヒリつき、忙しさに死にかけている自分の方がまだ、楽しそうだ。

 

早速銀行に就職した友達とアポを取った。具体的な話を詰めるためだ。

 

給料分の仕事はする。だがそれ以上はしない。定時で帰る。僕はもう、こなすことに注力する。

 

言葉にすると投げ槍だが、僕自身はやるべきことがはっきりと見えた手応えがあり、鏡で見たら目が輝いていそうな昂奮を覚えている。

 

前職は逃げないと死ぬと感じて、飛び出すように辞めた。今回は辞めるのではなく、次のステージに行くために、自分にとって最善の手段を採るだけだ。

 

理想と現実。期待と裏切り。変化と停滞。いったりきたりで精神が忙しいが、そのスイングこそ大事と説く人は多い。だからこの想いにさえ、正直であろうと思う。

 

ぶっちゃけ英検1級という資格があれば食いっぱぐれることは無いと思うのだが、それが無くなったらどうかというと、多分食いっぱぐれる。これは・・・焦る。

 

採用側は、僕に何があれば、正社員というリスクを鑑みても僕を採用するだろうか。次の自問のテーマはこれだな。

 

また徹底して言葉にしないとな。

 

・・・さて。ということで最後は非常に散文的になったが、今回はこの辺で。

 

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