SNSが台頭したせいか、あちこちから監視されているような感覚を覚える。オモチャとみられれば、心無い一言が数百の矢になって降り注ぐことさえある。
ずいぶん世知辛い世の中である。となれば、ブレない心を維持する方が難しい。
僕自身、他者のネガティブな反応や、批判・異論、いわれのないお叱りなどで、よく心が揺れる。具体的には、思考の全てが闇に落ち、そこをグルグルする感じだ。
他者は全員僕より上なので、言われたことは泣き寝入りして頷くしかない。瀬戸物と瀬戸物がぶつかれば砕けるだけ。
―そんな風に自尊心がクソの頃は、自分の心のバランスを取るのに難儀していたが・・・。
今は結構意識して、すっと心をニュートラルに戻せるようになっている。そのきっかけは2つあるのだが、それはどちらもたまたまの出会いであった。
今日はそれをせっかくなので、皆様にシェアしてみる。
あなたは1年前、何に悩んでいましたか?
この記事を読んで、『あ、確かにな』と思えた。
その中に、『人は忘れるくらいどうでもいいことで悩むもの』というコメントがあった。
つまり、その当時にとっては大事件であっても、冷静になれば引くほどくだらないのが大半なのだ。
例えば何か刺さる悪口を言われたり、いわれのない叱責を食らったりして、心がブレたとしよう。その時は、自分にこう問うのだ。
『今から一年前は何にくよくよしてたっけ?』
―僕の場合は、この記事を書いているのが5月29日なのだが、去年のその日に何を考えていたか、何をしていたか・・・・・・。
全くもって思い出せない。
そう思えば、なんかもうすごくどうでもよくなってくる。どうせ目先のネガティブも、囚われ過ぎなければその内消えるのだ。
これは反芻思考から自分を切り離す『脱フュージョン』としても使える。ぜひ覚えておきたい質問である。
自分の葬式に何人来るかで人生決まる!
最近、『チハラトーク』という番組?にハマっている。僕みたいにクヨクヨしたり争いを避けたりするヘタレとは真逆の価値観や話、エピソードが本当に面白い。
その中で、訳の分からないクレームや、中傷を受けることがあるという話があった。僕ならどん底まで落ち込み深刻なダメージを受けてしまうのだが・・。
千原せいじ氏はハッキリと、『マジ腹立つねん』という風に、"怒り"を抱くことを表明していた。これ、結構感動した。スゲェ!軋轢を恐れてない!という具合に。
そしてあまりにも呆れる批判に対しての感想に、僕は凄くしびれた。
『こういうこと言う奴ら・・葬式に来るヤツ0やと思うねん』
―なんとニュートラルで綺麗なスルーなのだろう。ある種『スルー』のお手本みたいな返しではなかろうか。
究極、人生は葬式に何人来るかで決まる。それくらい長期のでっかい目線を持っていれば、確かに目先のネガティブもただの過程になる。
「ここでクヨクヨしたら、僕の葬式に来てくれる人減るなぁ・・・。」という自戒にしてもいい。
「なんて偏屈な人なんだろう・・・。葬式に来る人いそうにないな、なんか可哀そうだな・・スルーしよ」という受け流しに用いても良い。
未来を使ってネガティブに打ち克つある種魔法の質問。こちらもぜひ覚えておこう。
終わりに。
ということでざっくりとではあるが、心がブレた際にそれを揺り戻す方法について書き殴ってみた。
この辺りは己の脳内だけで処理するのは難しく、よくわからない精神論が説かれた本を読んでも、あまり効果は無い。
不思議とネガティブが蔓延する世の中、何かしらのダメージを受けた際は試してみてほしい。
では今日はこの辺で。